『わたしの紫(マゼンタ)の書』
【旅の果てに見つけた、静かなオアシス】
これからこの星を生きるあなたへ。
そして、その小さな手を包み込むあなたへ。
ここは、長い長い旅の果てに見つけた、
静かなオアシスです。
何かを買い求める必要も、
正解を証明する必要もありません。
ただ足の力を抜き、水辺に腰を下ろし、
風の音に耳を澄ませてみてください。
あなたがこれまで感じてきた胸の痛みも、
理由のない生きづらさも、
それはあなたが間違っていたからではなく、
この地球(earth)の中心にある、
あたたかな心(heart)の深さを
知っていたからなのだと、
このオアシスは伝えます。
ここにある言葉たちは、
教えやルールではありません。
私が砂漠を歩き、喉を鳴らし、
命の粒で確かめてきた
『ひとつの景色』の記憶です。
どうか、喉が乾いたときにだけ、
そっとこの水を汲みにきてください。
あなたの内側にある
澄んだ感性と知性が、
誰の色にも染まることなく、
美しく咲き誇りますように。
【星屑から紡がれる命のバトンと地球のドラマ】
私たちの肉体を形づくる一つひとつの元素—
炭素も、鉄も、カルシウムも、
かつて遠い宇宙の彼方で
星が命を終えるとき(超新星爆発)に
解き放たれ、
この地球へと降り注いだ
「星屑」そのものです。
果てしない宇宙の記憶を抱いた星屑たちが、
太古の海で出会い、形を変え、
幾重もの命のバトンとして紡がれ、
いま「あなた」という
奇跡の生体としてここに在る。
そしていま、あなたの胸(heart)を通した
その温かな星の光が、
これからこの地球を生きる
子どもたち(新たな星屑たち)へと、
静かに繋がれていこうとしています。
木々は与えられたその場所で
命のバトンを繰り返してゆきます。
野生の動物たちも、自然の営みの中で
宇宙の理と調和し、
互いの命を分け合いながら
命の種を繋いできました。
いつからか地球の住人である
人類の物差しは、
モノが豊富であること、
どれだけ他より優秀であること、
どれだけ他より優位であること
それらで測ることを指針としてきました。
何も疑う余地のない、
既に出来上がっている枠組みの中で、
人は一生懸命に生きてきました。
家族で繰り広げられる
学校で繰り広げられる
会社で繰り広げられる、さまざまなドラマ。
学びの場では、偏差値という
分かりやすい数値で個人が位置付けられ
先に繋がる社会人へのレールが引かれます。
みんな、そのレールに乗ることが
最善だと信じて。
そんな、皆んなが無意識に受け入れてきた
社会のレールを一生懸命に進みます。
自らの想いを
「決められた、与えられた枠の中」
で選択してゆく。
家族という最小単位の中では、
ここまで繋がれてきた命のバトンを
当たり前のように、
或いは時に憤りを感じながら
ドラマは繰り広げられます。
家族って何だろう?
そこには、代々繋がれてきたプラスの遺産も
マイナスの遺産も両方あります。
両親、兄弟姉妹、親戚、
血の繋がりとしての運命共同体を感じながら、
その関係性の中でドラマを繰り広げます。
社会へ出ると、
血の繋がりという運命共同体を背景に、
会社という繋がりによる共同体として
切磋琢磨、会社の利益に繋がるよう
自らの時間と命を注ぎます。
そんな生活が
誰にとっても普通で、
誰にとっても正解で、
誰にとっても当然である
そう信じて疑いません。
家族、社会でのドラマに加え、
自らにとっての一番の理解者、
或いは自らの命のバトンを繋ぐための
パートナーとの出会い
というドラマも始まります。
どんな場面でも、状況でも、境遇でも
全ての瞬間は
「誰かと自分」「何かと自分」という
相対性の中で繰り広げられるドラマ。
決して「ひとり・ひとつ」では
味わう事のできない
奇跡です。
レールがあると人は安全だと感じます。
誰かや何かに決められたレールでは
怖い想いをする必要もないかもしれません。
何か自分にとって不都合が起きた時、
誰かや何かの責任にする事ができるから。
そんな体験は、私たちが自らの本質を
「忘れる」ことで成立していた
とてもリアルに感じることのできる、
それぞれのドラマなのです。
泣いたり、笑ったり、怒ったり、
苦しんだり、塞ぎ込んだり、
様々な感情を動かしながら
ここまで長い歴史を作ってきました。
真に進化(深化)した世界とは
どんな世界でしょう。
ルールや、決められたレールがなくとも
それぞれが、
それぞれの望む生き方ができる。
それは、互いを信頼しているからこそ
生まれる、自然な形です。
そこに在るのは、
自分勝手に好きなように
振る舞う世界とは正反対の
自らを冷静に見つめる事で、
全体の中に在る自身と
全体とのバランスをとることのできる
洗練された振る舞いから成る
「調和の世界」です。
ここに至るまでの間、
世界はモノとこころのバランス、調和を
取ることができませんでした。
モノだけに偏る。
こころだけを優先する。
光だけを受け入れ、
闇を見ず排除する。
役割に優劣はありません。
あるのは豊かな違いだけです。
その存在が奏でる音、纏う色、
響かす振動。
その違いをどのように捉えるかで、
この世界に広がりを生むか
閉じられた世界を生むのか
変わってゆきます。
【観測者としての目覚め−量子と共鳴の幾何学】
量子力学の世界では、この世界が
「物体は観測するまで、波(確率)である」
「観測されて初めて粒子(現実)として結晶化する」
そう言われています。
また、現代の物理学では
「ホログラフィック理論」に基づいて、
この世界はホログラムのようだ、という
仮説も存在します。
人類に備わっている「優秀な装置」である
「脳と心臓」がアンテナと発信機となり
見えないけれど存在する
全ての粒と波から形作られた
様々な幾何学を受信する。
その幾何学は自らの脳で映像に変換され、
その想いが心で感じとられることで
現象化の鍵となる
「共鳴」という身的作用が起きます。
地球の裏側であろうと、
宇宙の果てであろうと、
次元を超えて自身が受け取った
幾何学・周波数は
心を使った共鳴作用によって
現象化されるのです。
どんなドラマのシナリオ(幾何学)を選択し
自らのスクリーンに現象化することも自由です。
誰かや何かに制限されることも
否定されることも、
そこに境界線はないのです。
あるとするならば、
それは自らがその世界線を
選択し、楽しんでいるだけです。
誰も、被害者でもなければ、加害者でもない。
あるのは、
自分自身が選択し、
現象化した世界だけ。
宇宙も、地球も、
それぞれの周波数を
ただ表現しているだけです。
そしてその宇宙や地球を観ているのは
あなたが共鳴している宇宙と地球なのです。
それはどんな存在にとっても
平等で実にシンプルな原理が
そこに在るだけです。
この事を自らが真に思い出した時
これまで、頑なになっていた心も身体も
ほどかれます。
余分な力があらゆるものに
執着を生みました。
それは、物だけでなく、
場所や心までも。
全ての存在が粒子であり光であるエネルギー。
その固まったエネルギーを
解放、昇華できるのは
氷が温かいお湯によって
溶かされ、昇華してゆくように
一人ひとりが自らの
冷たく氷の柱になってしまった
感情の塊(幾何学)を
一人ひとりの心の温もりで
寄り添い、理解し、受容し
自らの周波数で溶かしてゆく事だと感じます。
どんな事象も、自らの魂が自らにとって
最善であることを理解し、選択した結果が
現象として現れたに過ぎません。
そこに、善悪の視点は不要なのです。
なぜなら、この世界で一見不幸に思えることが
魂の世界にとっては、とても深い学びであると
納得しているからです。
自身に超えられない現象は起こさない。
必ず、超えられる術を
深いところではわかっているから
起こしている。
そのことをどこまで信頼し、
その視点に立つことができるか、
それは源の視点です。
【源(オアシス)への回帰−祝福と統合の地球】
宇宙の視点で観れば
かなり遠回りな道を辿ってきた地球、
そしてそこで鍛え上げられてきた地球人。
この分離の世界で
さまざまな感情を使い、
痛み、苦しみ、笑い、歓び
心を震わせ、体験してきました。
その学びによって
美しい形となった幾何学は
それぞれの魂が
自らの本質を思い出し、
全てを赦し
全てに感謝できた
その周波数によって
それぞれのスクリーンに
新たな世界が
映し出されることでしょう。
多くの苦しみと悲しみを
いっぱいに抱えてきた
地球、ガイア。
そんな星が、
これから、
どの星でも観ることのできない
唯一無二の深い輝きと、
深い温かさに満ちた
慈愛の権現となることでしょう。
そこで生かされる人類もまた、
分離という、過酷に観える
過去のドラマの中で
決して自らの本質を見失うことなく
理性(青)と情熱(赤)の
統合(紫・マゼンタ)を成し得た
洗練された存在として生きてゆきます。
新たなる地球で創造されるものは
これまでの分離の世界で育まれ、
進歩してきた精神性と
科学によるものとは別次元のもの。
これまで観ることのできなかった
統合された慈愛(マゼンタ)の世界から生まれる
色とりどりの
繊細な音色を響かせ
種を超えた大調和の世界から
生まれる美しい幾何学。
胸を張り
静かに微笑み、
ゆったりと歩く地球人に
そしてそれを見護るガイアに
大きな花束と祝福を捧げます。
manabeing ON
Launched on September 17, 2026